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人を支えるものー保山耕一の場合

保山耕一は1963年奈良で生まれた。高校3年の時に学園祭向けに作った映画を見た観客が泣いてくれたのをみて感動し、カメラマンになることを決意。テレビカメラマンとして研鑽を積み、特殊機材の扱いに長けたフリーカメラマンとして活躍していた。


 2013年、彼が50歳の時に末期の直腸癌が見つかり、手術をしなければ余命1~2ヶ月、受けても5年後の生存率10%と宣告された。手術、化学療法、放射線療法などできるだけの治療は受けたが、2年後の2015年に肺に転移。現在も闘病中だ。


 彼のことは、昨年(2019年)2月に放送されたNHK「こころの時代」で初めて知った。その時は、きれいな映像を撮る人だなと思っただけで、強い印象はなかった。癌を患ってから、日々の何気ない風景が際立って美しく見える、というのは珍しい話ではない。彼の話も、そのありふれた1例に、その時は思われた。


 しかし今回、同じ番組の再放送を見て、全く違った印象を受けた。彼の住む奈良の、主に自然を撮った風景が心に沁みた。例えば以下の映像。

 https://youtu.be/4iKFY53FiR0


 ちなみに上記の彼の作品「神々の夜明け」という動画の背景に流れている曲は「You raise me up」。メロディーも歌詞も美しい曲だ。動画の中の、薄明るくなった空を背景に黒く映る社のシルエットも、夜明けの雲の輝きも、見るものの心を昇華させてくれる。自然(You)は、心に力を与えてくれる(raise me up)ことを実感させてくれる。


 もちろん曲の中で使われる「You」は「自然」を指すだけではない。保山氏にとって、Youは「自然」でもあり、また自分を支えてくれる「人々」でもあった。


 彼がカメラマンとしてバリバリ働いていた頃は、周囲の人間はすべて競争相手だった。彼がよい仕事をすると、他の人の仕事がなくなる。他の人に仕事を取られると彼の仕事がなくなる。彼は癌になって、友人と呼べるひとは一人もいなかったことに、初めて気付いた。


 彼は闘病生活を送りながら、体調が悪いのを押して少しずつ撮影にでる。三笠山(御蓋山)に霧が立ち込めるのを、虹がかかるのを、何日も何日もかけて待つ。よいシーンは撮れないかと諦めかけたころに、思わぬ映像がとれたりする。それを動画にしてネットにアップすると、それを見た人たちから反応がある。上映会を開いた時に、彼の作品を見た人が涙を流してくれる。その共感が、今の彼を、彼が癌と闘いながら生きることを支えてくれている。彼は語る。


「仕事漬けだった自分が、癌になって全部失い、自分が本気でやりたいことを続けていったら、いろんな人に出会い助けて頂いて、いろんなものが入ってきました。病気後は、人から与えて頂いた人生で、感謝しかないです。こんな人生が待っているなんて、夢にも思いませんでした。本当に僕は幸せです。」


 保山氏や前回のブログで取り上げた堀ちえみの人生から学ぶことは多かった。人はどのように絶望的な状況に陥ろうとも、それはそのままに、しかし日々の生活を意義あるものにできるのだ、と。


 そもそも「よく生きる」ということは、「その時を精一杯生きる」ということ以外にはないのだろう。将来の心配をすることで「今生きる」ことを損なうのは本末転倒である。温暖化も含めた環境問題は憂慮するべき状態だが、それへの対応は少しずつ心がけるとして、とりあえず自分にできることは今を精一杯生きるべく努力すること以外に、よい生き方はあり得ない。そして、よく生きるためには、人との繋がりが最も大切であることも、改めて彼らから学んだ。


 「今を生きる」のは、日々の忙しさに埋没して生きることとは全く違う。むしろ「忙しさから一歩引いて生きる」ことが、本当に今を生きることにつながるのだろう。いつも「自分はよく生きようと努力しているだろうか」と自問しながら、そして何よりも「人との繋がり」を大切にしながら、その時その時を慈しんで生きたい。


 保山氏のウエブサイトの「活動内容」のページを見ると、2013年8月の直腸癌の診断を受けた後から始まり、2019年7月の上映・講演会まで毎月のようにイベントが書き込まれているが、その後は記入が途絶えている。彼がこれからも、生きられる時を大切に生きていかれることを祈る。

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