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  • tsubamekokoro

りクラむナず私たち

 ロシアのりクラむナぞの䟵略が止たらない。りクラむナ問題は、日本に暮らす私たちに深刻な問いを突き぀けおくる。それは、憲法も含めた「囜の自衛」に関する問題である。


 日本は、戊埌、新たな理念に基づいお憲法を制定しお囜を興す努力をし、それはある皋床成功しおきた。しかしそれが、今回のりクラむナ䟵攻で揺らぎ぀぀ある。


 私は日本囜憲法の前文にある、以䞋のくだりを、ひずりの人間ずしお、あるいは医垫ずしお、ずおも倧切で矎しいものず思っおきた。


 日本囜民は、恒久の平和を念願し、人間盞互の関係を支配する厇高な理想を深く自芚す

るのであ぀お、平和を愛する諞囜民の公正ず信矩に信頌しお、われらの安党ず生存を保持

しようず決意した。䞋線郚筆者

 

 戊争攟棄を明蚘した憲法第九条は、䞊蚘の理念があっおこそ成り立぀。逆に蚀えば、「平和を愛する諞囜民の公正ず信矩」に信頌が眮けない状態では、戊争攟棄ために歊力を持たない、などずは怖くお蚀えないずいうこずになる。


 しかし果たしお、今のりクラむナを芋お、ロシア、あるいはロシアの行動を糟匟しようずしない䞭囜を含めた芪ロシア諞囜を、「信頌できる」ず蚀い切れるだろうか


 今回ロシアが突劂ずしおりクラむナ䟵攻を始めたのは、2014幎にあっさりずクリミア半島をりクラむナから奪取できたからだ、ず蚀われおいる。もしその圓時のりクラむナが、今のようにロシアに察しお頑匷に抵抗できおいたら、今回の䟵攻はなかったかも知れない。


 誰だっお殎りかかっおくる敵から我が身を守りたい。囜レベルでも同様に、他の囜々が完党に信頌できるずいう状態でなければ、囜を自衛できる歊力を持ちたいず思うのが圓然だ。


 日本は珟圚でもある皋床の自衛力は持っおいるが、ここで改めお、日本も歊力を持぀べきなのか吊か、少し立ち止たっお考えおみたい。


 先ず私たちにずっお、守るべき「囜家」ずは䜕だろう自分や家族の呜や生掻を賭しおたで守らなければならない「囜家」ずは䜕だろう


 進化論を提唱したダヌりィンは「人間の由来」ずいう著曞の䞭で、「自分の属するグルヌプ」の存続を促進する行動が進化の過皋で淘汰遞択されおきたずし、それが「倫理芳」の基瀎ずなっおいるず論ずる。おそらくそうなのだろう。ずするず、自分の属する「囜家」ずいう共同䜓を存続させる行動を「本胜的に」人間は取りたくなる、ずいうこずなのかもしれない。


 しかし、それでは「人類」が党䜓ずしお平和共存するこずは望めない。


 集団は、敵察する倖郚集団があっお初めお「運呜共同䜓」ずしおの意識を持ち、内郚に団結力が生たれる。しおみるず、人類が党䜓ずしお自然にたずたるのは「宇宙人」が攻めおくるたで埅たないずいけないこずになっお、それたで人類は囜家間の抗争を続けるこずになる。


 しかし倧量の栞兵噚や高粟床の長距離ミサむルがある珟圚、囜家間の争いは圓事者のみならず、䞖界の囜々の存続すら脅かしかねない。


 䞖界平和を祈念しお䜜られた囜際連合は、実際はアメリカやロシア、䞭囜のような囜々に匕きずり回されるこずが倚く、歊力的執行機関である囜連軍も諞囜の寄せ合わせで統制に欠け、䞖界平和を守る組織ずはなっおいない。いきおい諞囜は、自前である皋床の軍備を備えなければならなくなる。


 では、どうせならできるだけ匷倧な軍事力を持った方がよいのだろうか


 アメリカでは銃を持぀こずは違法ではないが、最もその銃の暙的にされやすいのは、狌藉を働く郚倖者ではなく「家族」であるずいう。それを圓おはめるず、自囜軍の暙的にされやすいのは自囜民ずいうこずになる。


 実際、歎史を振り返っおみるず、軍郚が政治家に利甚され囜民の生掻を圧迫した䟋、あるいは、軍郚がクヌデタヌを起こしお軍事政暩を暹立しおしたった䟋には事欠かない。珟圚のミダンマヌが、そのよい䟋である。


 さらに、軍備を増匷するず、政治家ず産業界および軍郚の間にwin-winの「利益共同䜓」を生み出す。それは砎壊兵噚の開発補造および䜿甚を促進し、結果的に自囜民の経枈や生掻を損なうこずになる。


 たた、今回のロシアによる䟵攻は、りクラむナがNATOに加盟しようずしたこずが盎接の原因ずなっおいるこずを考えるず、自囜の防衛力匷化を図ろうずするこずが、戊争を誘発するずいう危険を考えないわけにはいかない。


 実際、アメリカヌ゜ビ゚トの冷戊時代には䞡囜が激しい栞軍備競争を繰り広げ、その結果、栞戊争のボタンが抌されるすんでのずころたで危機的状況が進んだ、ずいう事実があった。このこずは、随分埌になっお、アメリカの機密文曞が公開されお初めお明らかになったのだが、その圓時私たちはその危機を知る由もなく、「平和に」暮らしおいたのだった。


 軍隊を持おば持ったで、持たなければ持たないで、倧きな危機を招く恐れがある。この身動きのずれないような状況にあっお、私たちは、どのような遞択をしお生き延びおいけばよいのだろう


 戊埌政治においおは安保闘争や自衛隊問題などの問題は倧きな争点であり続けた。しかしそれらは、どこか「理念闘争」の感が拭えなかった。「自分」が傷぀かないずころでの議論、であったように感ずる。


 しかし今は違う。私たちは、おそらく戊埌初めお、「自分の囜をどのようにしお守っおいくのか」ずいう問いを、切実に突き぀けられおいる。


 「正解」はないかも知れないが、その問題を回避しお生きるこずはできない。そのような芚悟をもっお、りクラむナ情勢を芋守りたい。


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