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初夢

 今年の初夢には打ちのめされた。夢の中で涙が流して目が覚めた。これまでの生き方を根本的に考え直さなくてはいけない、と思わされた。


 その夢は、社会心理学者のエーリッヒ・フロムの言い方を借りるならば、私の生き方が「持つ=have」を求めるものだったこと、その結果、私の人生には紙くずのような残滓、残骸が多量に残されていることを示していた。


 フロムは「生きるということ」(原題は”To Have or To Be”)という本の中で、人には2つの存在様式があることを論じている。ひとつは、財産、知識、健康、地位、権力、金などを「持つ=have」様式。もうひとつは、分かち合ったり、愛したり、感じたり、自分の持てる能力を発揮したりする「ある=be」様式。よりよく生きるためには「ある=be」様式で生きることが大切である、とフロムは説く。


 私も、そうであると思う。しかし実際の私は、とても読みきれないほどの本やガラクタに埋もれて生きている。


 一般に夢は、記憶を整理し精神を安定させるために見る、と言われている。また、精神分析の祖であるフロイトやユングが考えたように、自分の心を知るための手がかりにもなる。


 私には収集癖があり、例えば幼い頃は、丸くて手触りのよい美しい石を探して、炎天下の砂利道を何時間も歩いた。ビー玉、おはじき、メンコなども沢山集めた。アメリカに留学した時は、到底読めない量の論文をコピーしまくり、ダンボールに20箱集めて、船便で日本に持ち帰った。しかし帰国後の引っ越しで、泣く泣くそのほとんどを読まずに捨てた。金も時間も労力も、全くの大損である。


 今年の初夢は、そのような私が大きな転換点を迎えていることを告げている。では、どのように生きたら「ある=be」様式で生きることになるのだろうか?


 ちょうど正月にNHKの「SWITCHインタビュー 達人達」で、X JAPANのYOSHIKIの捨て身的な、「その瞬間に自分の全てを賭ける」生き方を知った。それは、もしかしたら「ある=be」様式の生き方なのではないかと、チラッと思った。


 彼の父親は10歳の頃に自殺した。その後結成したX JAPANのメンバーのうち2人も自殺した。


 YOSHIKIは、父親が亡くなるまでは、音楽好きだった父の喜ぶ顔が見たくて、ピアノでクラッシックの曲ばかり弾いていたらしい。しかし父親が自殺してからは、クラシックを弾く気になれず、母親にねだってドラムを買ってもらい、以来、ロックバンドの活動にのめり込んだ。


 彼はインタビューの中で、父やバンド仲間の死が今も心に突き刺さっており、毎朝起きると「また1日が始まるのか」と思って辛い、毎日胸から血を流しながら生き続けている、と語っていた。


 YOSHIKIの正直さを疑うわけではないが、彼の虚無感の原因が本当に父親やバンド仲間の自殺なのかは分からない。彼のような繊細さを持っているなら、生きることの意味を考えて虚しさに囚われてもおかしくないのでは、とも思う。いずれにしろ彼が毎日を必死に生きているのは本当だろうし、それが彼およびX JAPANの魅力なのだとは感じる。


 「明日のことを思うがあまり、いまの瞬間を犠牲にしたくないんです。もう明日なんかないと思えば、今日を思い切り生きるしかないわけですから。常にそういうスタンスでやっていますね。」(映画『WE ARE X』に関するインタビューでのYOSHIKIの発言)


 「死ぬ瞬間、これまでの人生を振り返ると思うんです。そのときに、『やれることは全部やった』って、思いたいんですよね。」(同上)


 彼は、X JAPANで「世界の頂点を目指す」ことを目標にして生きている、とも言っていた。それは「大きな欠落」を埋めるための、彼の方途なのだろう。しかし考えてみると、それは「ある=be」的生き方ではなく、「世界の頂点をget=have」するという「持つ=have」様式の生き方なのではないだろうか。


 自分の心を音楽を通して聴衆に理解してもらいたい、というのは自分の持てる力を発揮し、それを分かち合うということなので、「ある=be」的生き方だとも言える。しかし彼のように、自分やグループメンバーの健康まで損ねながらトップを目指すのは、あまりにも破滅的、破壊的過ぎていて、生を肯定する「ある=be」的生き方とは言いにくい。


 では、真に「ある=be」な生き方とは、どのような生き方なのだろう。


 「ある=be」的生き方の達人といえば、ブッダだろう。ブッダは、「形あるものはすべて空しい」とし、「今ここに在る」ことを大切にすることを説いた。仏教の根本はそこにある。トップを目指したり争ったりすることを否定する世界観である。


 先日、ノーベル文学賞受賞作家のヘルマン・ヘッセが、ブッダの生き方に共感して書いた小説、「シッダールタ」を何十年ぶりかで読み返してみた。自分の記憶と相当違っていて、今更ながらに自分の記憶の頼りなさに驚かされたが、発見は多かった。


 小説「シッダールタ」の冒頭部分で、主人公シッダールタは次のように幼馴染の友、ゴーヴィンダに言う。


 「人は何ものも学ぶことができない、というこのことを学ぶために、私は長い時間を費やしてきた、そしてまだ学び終えていない!実際、あの『学ぶ』と呼ばれているものは存在しないのだ、と私は思う。おお、友よ、存在するのは知のみだ。それはいたるところにある。それは真我(アートマン)だ。それは、私の中にも、君の中にも、どのようなものの中にも存在する。そして私はこう思いはじめている。『この知の最悪の敵は、知ろうとすることであり、学ぶことだ』、と」(岡田朝雄 訳)


 「知識として知っている」こと、あるいは「知識を得ることで分かるだろうと思い努力する」ことは、「本当に知る」こととは全く別のこと、あるいはむしろ「有害なこと」なのだ、ということなのだろう。


 シッダールタは様々な師に就いて学び知識を得たが、それは「本当に分かる」ことに結びついていない、ということに気がついた。そして、一人で人生の旅に出て、様々な過ちを身を持って経験することで、ようやく本物の「知」に辿り着く。その「知」が、すなわち「川の渡し守」という「ある=be」的生き方だった。


 ある日、いつものように渡し守として働いていたシッダールタは、幼馴染のゴーヴィンダと再開し、次のように述懐する。


 「『愛』こそは、何にもまして大切なことだと私には思われる。(中略)私にとって大事なことはただ一つ、それは世界を愛することができること、世界を軽蔑しないこと、世界と自分自身を憎まないこと、世界と自分、そしてあらゆる存在を、愛と感嘆と畏敬の念を持って見ることができることだ」(同上)


 ヘッセが小説の中で書いたように、「ある=be」的生き方は、畢竟する所、「愛」の一語に尽きるのだろう。結論は単純明快だ。しかし、そのことを本当に会得することは難しい。小説の中でシッダールタがそうしたように、様々な苦しみを経て結晶してくるもの、あるいは僥倖のようにもたらされるものなのだろう。近道はなさそうだ。それでも、少しづつでも「ある=be」生き方に近づけたらいいな、と思う。

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