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  • tsubamekokoro

アカペラ演奏

 最近、「Layers」という、バイオリン、チェロ、ピアノのトリオ演奏をよく聴いている。YoutubeでLayersを検索すると、韓国文字のタイトルが出てきて読めないものもある。どうも韓国の若手演奏家のようだ。

 ネットで検索をかけたりCDを探してみても、Youtube動画以外は、英語や日本語の資料はほとんど見つからない。彼らの氏素性も、いつ頃トリオを結成したのかもわからない。同じ韓国の音楽大学で学んでいて、気も合う仲間だったので集まっては即興で色んな曲をアレンジしながら合奏しているうちに、ネットで配信してみようということになったのではないか、と私は勝手に想像している。

 まだそれほど知られていない(と思われる)彼らであるが、演奏は素晴らしい。ビートルズメドレー、ディズニー、ジブリの曲、韓国のポップス(らしい)、Queenなどのロック、クラッシクの小品、何でもござれである。彼らはYoutubeに多くの演奏をアップしている。

 https://www.youtube.com/watch?v=Mtp3B1RDtsw

「繰り返しの多い、長いクラッシクは演奏しない」と、演奏方針に書いてあった。しかし、明らかに彼らの基礎はクラッシクにある。演奏技術は確かであり、合奏のレベルも高い。

 その意味では、「2チェロ(2 Cellos)」という2人組のチェリストグループに似ている。2 Cellosの二人は幼い頃からチェロの練習を積み、ヨーロッパなどの音楽コンクールでしのぎを削った間柄だった。実は大のロック好きだった二人は、おそらく、コンクールの準備などをしている時などに、アドリブでロックの曲を合奏してみたのではないか?それが彼らにとっては新たな世界を開く経験となったのだろう。ついには、二人で世に打って出よう、ということになり、今に至っているのではないか。彼らの素晴らしい演奏もYoutubeで聴ける。

 https://www.youtube.com/watch?v=oUBQPIk9Wh8&list=PLrRtwIUSeaCEOxW7Ydgq2eDbFA84BdL5F&index=3

 2 Cellosもロックからポップス、クラッシクスまで、広い分野の音楽を自分たちで自由にアレンジして、新たな音楽の分野を開拓しているグループで、すでに世界的に高い評価を受けている。Layersも、それに負けずとも劣らない素晴らしいグループだ、と私には思える。

 Layersにかかると、硬めのクラッシクの曲たちも、情熱的で親しみやすい顔に変貌する。例えば、ベートーベンの月光とショパンのノクターンのかけ合わせたり、あるいはアルビノーニのアダージョとバッハのトッカータのかけ合わせたりして、それぞれ原曲が分からなくなるくらいに融合させる、などということもお手のものだ。

 彼らが弾くと、よく聞き知っている曲でも、まるで新たな曲を発見したかのような感動を受ける。変化に富んだ弾き方で自在に音を操り、音楽の世界を広げてくれる。映像を見ていると、金はかけていないようだが、服や室内の装いにもいつも何かしらの工夫がされている。

 とにかくアイデアが豊かで遊び心のある彼らの音楽は、楽しさで溢れている。生きる喜びで満ちている。それでいて情味深く心に沁みてくる。音楽が、懐かしさを帯びて響いてくる。

 Layers と2 Cellosを比較していて、ひとつのことに気がついた。彼らは、基本的に楽器を「アカペラ」で演奏している、ということだ。アカペラとは無伴奏で歌うことを言うので、「楽器でアカペラ演奏する」とは普通は言わない。しかし彼らは、基本的に彼らだけで完結できる音楽を奏でており、他者の「伴奏」を必要としていない。それで、すっくと立っているような、余計なものを含んでいないような、まるで「アカペラ」のような印象を与えるのではないだろうか。

 2 Cellosは売れっ子になったので、オーケストラをバックに演奏する機会も増えたが、Layersはほとんど3人だけで演奏している。また、2グループとも多くの作品を発表しているが、楽譜を見て演奏することはほとんどない。奏でる曲を、十分に「自分のもの」にしてから演奏しているのだろう。

 「自分たちで、自分たちのために、自分の音楽を奏でる」とは、まるでリンカーンの有名な演説、「人民の、人民による人民のための政治」みたいだが、それが音楽の本質であり、Layersも2 Cellosも、それを体現しているのだ、と気がついた。だからこそ彼らの音楽は生き生きとしているし、聴き手の心を打つのではないだろうか。

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