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高橋大輔ふたたび


 フィギアスケーターの高橋大輔が、4年ぶりに競技生活に復帰した。彼のスケートが魅力的であることは、以前のブログで書いたことがあった。それにしても32歳という、肉体的には下り坂に差しかかった年齢での復帰とは…。過去の自身の栄光を傷つけるかも知れないのに、よく復帰の決断をしたと思う。

 一昨日のフィギアスケート全日本選手権大会での彼の演技は、ブランクを感じさせない、まさに高橋大輔のものだった。驚かされた。いつも彼は、「いや、ぼくはそんな大したことしてる訳ではないんですけれど」などという顔をして、見る者の心を奪っていく。

 それにしても、スケートを見ていると、その人となりがはっきりと出ることに驚かされる。競技の前、選手がスケート場に現れた瞬間から、それはわかる。

 彼らは大抵、演技のポイントを頭の中でリハーサルしながらスタート地点にまでゆるゆると滑ってゆく。すでにそのさりげない仕草から、その人がどんな雰囲気の人なのかが知れる。さらに曲が始まって動き出しただけで、その後の演技が魅力的なものか否かがおおよそ見当がつく。診察室に患者さんが入ってきた時に、その人がどんな人なのか概ね見当がつくのと似ている。

 精神科医のアルフレッド・アドラーも、「その人の人柄は、その人の行動の全てに現れる」、と書いていた。その通りだと思う。私は、若い頃からそのことが不思議だった。フィギアスケートを見ていても、なぜ高橋大輔は高橋大輔になるし、宇野昌磨は宇野昌磨になるのだろうと思う。ちょっとした仕草、身のこなしに、否応なくその人となりは出てしまうようだ。考えてみれば、それはとても怖いことだ。

 高橋大輔の復帰も大いに楽しみであるが、ここにきてもう一人、楽しみな選手が現れた。今年ジュニアからシニアに上がって来たばかりの紀平梨花選手である。今回の日本選手権でも可憐かつ表現力豊かな舞を披露してくれた。運動能力も抜群で機転もきくようだ。高橋大輔とは14歳も離れているが、ふたりともとてもチャーミングな性格をしている。ふたりとも遊ぶことが好きなのだそうだが、その自由さがスケートにも出ているように思われる。音楽をよく表現しているところも似ている。

 もうひとり応援してしまう選手がいる。宮原知子。すごく華があるというわけではないが、彼女は本当に地道に努力し、くさることなく確実に力をつけてきた。ここにきて紀平梨花や坂本花織に押され気味であるが、彼女のような努力肌の人にも是非活躍してほしい。

 それにしても残念に思われるのは、フィギアスケートの採点方法である。なぜ難易度の高いジャンプを飛ばなければ高い得点が出ない仕組みになっているのだろう?ジャンプの練習ばかりしているため、演技全体としてはまとまりのない、つまらない仕上がりになっていることも多い。そんなに回転やジャンプを重視したいのだったら、「スケート体操」という別の競技をつくったらよかろうと思う。そこでは音楽など流さず、純粋に回転やジャンプの高さや綺麗さ、難易度などを争ったらいい。

 高橋大輔や紀平梨花が今後、フィギアスケート界をさらに盛り上げて行ってくれるだろうことを思うと楽しみだ。彼らが怪我をしないことを祈るのみである。

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