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  • tsubamekokoro

瞑想で自由を取り戻す


 「偽りのない誠実さ」で満たされている、という印象の人に出会った。1月28日のNHKこころの時代で放送された「独房で見つめた”自由“」に登場したマ・ティーダというミヤンマーの女性。医師でもあり作家でもあり、軍事政権に反抗したとされて5年半独房で過ごした人でもある。

 彼女は、いわゆる政治的な「闘士」ではない。何かのイデオロギーを信奉して政治的運動に加わったわけではない。旅行好きの両親に連れられて幼いころからミヤンマー(当時のビルマ)各地を旅行していた彼女は、地方に暮らす人たちが電気もない貧しい生活をしていることを知って、幼いころから彼らのために毎晩祈っていた。どうしたら助けを必要とする人々の力になれるかをいつも考えていた。

 そんな彼女が医学生だったころ、クーデターが起きてミヤンマーに軍事政権ができた。その軍事政権下で、かのアウンサンスーチーも自宅軟禁を強いられた。マ・ティーダは、貧しい人達のために民主化運動に参加し、そのために投獄された。そのいきさつを、彼女はチャップリンの映画の一場面を引いて説明していた。

 チャップリンは何かをするためにどこかへ向かって走っていた。その彼を追って、他の人も一緒に走っていた。その時、誰かが「止まれ」と言い、全員一列になって止まった。その次に、誰かが「勇敢なものは一歩前に出よ」と言った。チャップリンは動かずにいたのだが、他の人たちが一歩後ろに下がってしまった。私もチャップリンと同じだった。私は英雄にはなりたくなかったのに、「勇敢な者」になってしまった。ただ困っている人たちを、少しただちょっと助けたいと思っただけなのですが。

 おそらく彼女の気持ちとしては、その通りだったのだろう。普通の人は刑務所に入れられてしまうことを恐れる。しかし、彼女が恐れていたことは別のこと、

自分たちが、不正義を許し受け入れてしまうこと

だったという。

 政府のやり方に反対してストライキやデモをし、アウンサンスーチーの支援もしていたマ・ティーダは27歳で監獄に入れられ20年の有罪刑を言い渡された。3.6m四方の独房で誰とも話をすることが許されず、ごくごく貧しい食事で、独房の外に出られるのは夕方の15分の散歩のみ、という日々の中で彼女は考えた。「本当に私は何もできないのか?ブッダは言っていた、自らに責任を持つのは他人ではなく自分自身だと」。そして結論する。

「いや、まだ私には何かできる。瞑想は体と心があればできる」

 「刑務所にいた間の瞑想が私を決定的に変えた」、と彼女は振り返る。彼女が行ったのはヴィパッサナー瞑想法という、ブッダによって行われミヤンマーで盛んになった瞑想法。心の動きに体が反応する様子を静かに見つめ、自分自身の内面を観察するその瞑想法を彼女は独房の中でずっと(長い時は1日20時間)行った。

 あるとき、副看守長がマ・ティーダに言った「君は自由な人だ。しかし我々は公務員だ。分かってほしい」。看守たちは身体や法的には自由だが、思想や日々の活動では自由がなかった。一方マ・ティーダは、瞑想の実践によって「自分の考えを表す自由な意志」を持ち続けていた。副看守長はそれを羨んだのだろう。最終的に釈放されたとき彼女は看守たちに言った。

「刑務所に入れてくれて感謝します」

 マ・ティーダは独房から釈放された後、ムスリムの慈善病院で働いた。反政府のレッテルを張られた医者を雇う病院はそこしかなかったからだ。大多数が仏教徒の国で、その中でも熱心な仏教徒である彼女は、それでも腐らない。彼女は言う。

近年のミヤンマーではpeer pressure(同調圧力)が高まっている。人々は、他の人に批判されることを恐れている。しかし私は、責任の主体は私にあると思っている。十分な支持がなくても、批判されても自分でいられる。医者として私は、誰かが病気なら、たとえそれが地球人でなくても治療をためらわない。

 医師として、人として、これ以上誠実な言葉、態度があるだろうか。真に尊敬できる人とはマ・ティーダのような人をいうのだと、心から思った。


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