少し報告が遅れましたが、H29年12月16日に燕三条地場産業振興センターで開かれた「ひきこもりフォーラム」に参加しました。当日は、ひきこもり経験者で現在は若者向け就労支援施設で相談員を務めている岡本圭太さんが講演を行ったあと、他のひきこもり経験者や親の会の理事長なども加わって「生きづらさを抱える若者を支える」というテーマでシンポジウムも開かれ、充実した話し合いがもたれました。その中で特に参考になったことを挙げてみます。
岡本さんは、高校卒業まではいじめや不登校になったこともなく順調に過ごしたものの、就活は面接で全滅。それ以来自信を失い、親に対しても申し訳ないという罪悪感が募り、次第に誰にも会わなくなっていったとのことでした。就職が怖くなり「せめてアルバイトでも」とアルバイト雑誌を買うものの、怖くて中を見ることができなかった、と回顧していました。
ひきこもりから抜けたきっかけは、徐々に状況が悪化していくことに焦りを感じ、一人で解決することを諦め、誰か第三者の助けを借りることを決心したことだったとのこと。雑誌文芸春秋のひきこもり特集で、全国に数多くのひきこもり者が存在することが報じられているのを読み、自分だけが特別な人間なのではないことを知ったことにも力付けられたとのことでした。岡本さんが引きこもっていた時代には、まだネットも一般的でなく、ひきこもりに関する情報の少なかったのです。
ともかく、25歳を目前にした岡本さんは意を決して病院にかかりました。そして医師から「ひきこもりですね」と診断されて「とてもほっとした」と言っています。おそらくその医師は「ひきこもり」が「なまけ病ではない」ことを岡本さんや彼の家族に話し、そしてこれからの回復に向けての道筋を話したのではないでしょうか。それで岡本さんも家族も安心したのではないかと想像します。
岡本さんが選んだ病院はとても充実したところだったようです。彼はそこで精神科受診と合わせてカウンセリングやデイケアに参加し、さらに引きこもりの当事者グループや勉強会にも参加するようになったようです。そのようにして、約5年かけてリハビリを行い、NPO団体のスタッフとして社会復帰しています。そのような手厚い治療的環境は当クリニックにはもちろん、新潟県全体を見渡してもごくわずかしかないのはとても残念です。
岡本さんが、ひきこもっていた時に嫌だった言葉は 「これからどうするんだ」 「親はいつまでも生きていないぞ」 という親や周囲の人の言葉だったそうです。今の状態がまずいことは本人が一番よく知っているけれど、どうにもならなくて苦しんでいたのだから、と。つまり「正論は役立たない」ということのようです。
逆に嬉しかったことは、「親がひきこもりを甘えやなまけではない、と理解してくれた」こと、および支援者が評価や否定をするのではなく「ありのままの自分を認めてくれた」ことだったそうです。引きこもりに対する親の態度が、ある意味でカギとなりそうだということがわかります。
ひきこもりから脱した今、当時のことを振り返って「人生の高速道路から落ちたからこそ見えたもの」がある、と言います。また、「働くことは自分を『OK』と思えるための装置」なのではないか、とも。そして、引きこもりから自分を救い出してくれたのは、家族や支援者、同じ経験をした仲間たち、要するに「人」だった、とまとめていました。
ひきこもり者の親へのアドバイスとして岡村さんが、 「親も自分の生活を楽しんでほしい。自分の方ばかり見られているのはつらい」 「『階下で楽しそうにやっているな』という雰囲気を周囲が醸し出すことが大切」 と話していたのも印象的でした。
ひきこもり者の親で当日のシンポジストのひとりだった三膳氏からは、 「子どもも、親が一日中いると邪魔」
「まじめな親が多すぎる」
「天の岩戸じゃないが、ひきこもっている子が戸を開けて、外を見たくなるようにすることだ」 という発言があり、ひきこもり当事者の話と一致していたことが印象的でした。
また、当事者へのメッセージとして、元ひきこもりの岡本さんが言った 「自分で悩みきることが大切」 という言葉も、その通りなのだろうと思われました。精神科領域の悩みは、このような「底つき体験」というのが必要なことが多々あります。頭ではなく腹の底から理解する、ということなのだと思います。つらい経験だけれど、自分自身でとことん突き詰めて考えたり悩んだりすることからしか、光明は見えてこないのかも知れません。