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3月のライオン


 たまたまNHK総合のアニメ番組「3月のライオン」第2シリーズの第4話を見た。主人公は棋士の桐山零。その彼が縁あって出入りしている川本家の次女ひなた(中学3年)が靴を隠されて、片方は学校のスリッパ、片方は運動靴を履いて帰宅するところから物語が始まる。

 ひなたは、小学校以来の同級生佐倉ちほがいじめにあっていることを知り、ちほに「先生に相談してみよう」とすすめる。しかしちほは、「やめて。言わないで。そんなことしたら、ますますいじめられる」と泣いて哀願する。

 結局いじめはますますエスカレートし、ちほは学校を休みがちになる。ひなたは思い余って一人で担任の先生に相談するが、「川本さんの勘違いじゃない?グループの子とふざけてるだけでしょう。そんなに何でも悪い方に取っちゃダメダメ。」と全く取り合ってもらえない。

 クラスメートも、自分がいじめのターゲットにされることが怖かったり受験勉強で余裕がなかったりで、見てみないふり。ついに耐えきれなくなり、ちほは転校してゆく。

 それからだ。今度は、ちほをかばったひなたが陰湿ないじめを受けるようになってしまった。靴を捨てられ、涙でぐしょぐしょになった姿で家に戻ったひなたを、川本家の姉妹や居合わせた桐山零は驚いて迎える。ひなたは大泣きしながら訴える。

 「私はちほちゃんに何もしてあげられなかった!」

 「一人ぼっちになるのこわい。でも私は後悔しない。私のやったことは、絶対に間違ってなんかいない!」

 ひなたのその姿を見て桐山零は、幼いころからずっと独りぼっちで淋しかった自分に手を差し伸べられた思いがして、孤独から救われたように感じる。そして一生をかけて全力でひなたを救うことを心の中で誓う。それが「恩返し」であると彼は考える。ここが第4話の最大の見どころだった。

 精神科医として患者さんを診ていると、自分の過去の思いが込みあげてくる瞬間がある。とてもつらくなって、言葉を失うことがある。そんな時、患者さんの一途な心に救われるような気持ちがすることがある。わたしは精神科を選んで本当に救われている。泣いているひなたに救われた桐山と同じ思いだ。

 ひなたのような子は、めったにいない。今の私でも、彼女のような態度をとる自信はない。しかしそんな子がいたら、臆病でめんどくさがりな自分を鼓舞して、共に悩み解決策を探りたい。子どもたちが生き生きと暮らせる社会になったら、どんなにいいだろう。そのために、大人が力を合わせなくてはいけない。


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