茨木のり子という詩人がいた。もう故人となったが、こころに残る詩を多く遺した。たとえば、「汲む」という詩の一節:
「初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなかった人を何人も見ました」
立ち居振る舞いの美しい、発音の正確な、素敵な女の人が、「大人になるために」すれっからしになろうと努力していた少女の頃の茨木さんに、何気ない話のなかで言った言葉だとのこと。後年になっても、折に触れて「ひっそりとその意味を『汲む』のです」、と詩は結ばれている。美しくやわらかな詩だ。
悩んでいる患者さんに、この詩を紹介することがある。
「大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎごちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな」
茨城さんの詩を患者さんに紹介しながら、実は私自身がこの詩に支えられてきたことに気づく。頼りなさをそのままに、弱さをそのままに、しかしそれでも崩れずに生きればいいのだな、と。