先日妻と散歩していて、萩は草だろうか木だろうか、という話になった。萩は新潟では冬になると地上より上の部分は枯れる。しかし根が残っているので、春になるとその根からまた芽が伸びて生い茂る。それだけ見ると多年草、つまり草のように思われる。
ところがここで問題があり、関西などの暖かい地方では萩は地上部分も枯れず、年を経るにつれて茎が固くなる。そうするとレンギョウのような落葉低木のようにも見えてくる。いったい萩は草なんだろうか木なんだろうか?大体、木と草を分けるものは何なのだろう?
その後たまたまテレビを見ていて、立派な大木になるアカシアがマメ科であることを知り驚いた。マメ科の代表といってもいい枝豆などは、どう見ても考えても草である。しかしアカシアはどう見たって木である。
気になって調べてみると、萩は「マメ科の背の低い落葉低木。茎は木質化して固くなるが、年々太くなって伸びるようなことはなく、根本から新しい芽が毎年出る」とあった。騙された気がした。いかにも草のような風情をしていて、あいつは実は木だったのだ。マメ科には本当に草本(つまり草)と木本(つまり木)の両方が含まれているのだ。
同様に、キク科で葉っぱをおひたしなどにする春菊は「草」で異論がないだろうが、同じくキク科のマーガレットは何年も越冬できて、大株になってくると茎が木質化し低木のようになる。木質部が多いことが「木」であることの要件の一つであるから、マーガレットは「木」と言ってもおかしくないことになる。
では竹はどうだろう。竹はイネ科だが、木のように固く木質化する。従って木に分類されることが多いようだが、二次肥大成長(経年により丈が伸びたり幹が太ること)がないため、草か木かに関しては専門家でも意見が分かれているようだ。
私は、木と草は植物進化の途上で早くに分化し、その後様々な種に枝分かれしてきたのだとばかり思っていた。しかし、そうではなかったようだ。それぞれ、キク科やマメ科、イネ科などに分化した後に、さらにそれぞれの科の中で分化して「木質をつくる種」ができたものらしい。すなわち、木であるか草であるかは植物にとって根本的な問題ではなく、それぞれの種が環境に適応する上での「ちょっとした工夫」であった、ということになる。
してみると、「萩が草のような木である」ということは、「イルカはサメのように泳ぐが魚類ではなく哺乳類である」ということと同じだということになる。あるいは、四足で歩き草食でサイのような角を持っていたトリケラトプスは、いくらサイに似ていても哺乳類ではなく立派な恐竜であった、ということとも同じだろう。
ヒマ人的興味にここまでお付き合いしていただいて大変に恐縮であるが、私にとって草か木かという問題はとてもおもしろかった。それは、一見自明で子どもでも分かっていそうなことが実はそうではない、という好例であると思われたからだ。
草と木を分けることなど簡単だ、と少し前までの私は考えていた。しかし、そうではなかった。事態はもっとずっと複雑で、植物の進化と適応が絡んだもののようだ。そのことが分かった。だからといって何の得にもならないが、簡単に「わかった」と思ってはいけないことが少し「わかった」、と思えたのはうれしかった。