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繰り返し見る

 NHKの長寿番組に「こころの時代」と「日曜美術館」がある。毎週あるので録画して時間のあるときに見ている。再放送も結構多い。その場合、一応少し見て、面白くない場合は消すようにしているが、けっこう面白くて見続けてしまうこともままある。


 今日見た「日曜美術館」も再放送の番組だった。画家の岡田三郎助を特集した番組だったのだが、肝心の岡田三郎助についてはほとんど忘れていた。しかしゲストとしてアコーディオニストのCobaさんが出ていて、彼の発言を聞いているうちに、その番組を見るのが2度めであることを知った。


 Cobaさんは18歳で単身アコーディオンの本場イタリアに乗り込み、苦労を重ねながら修行した。今では実力が認められ、彼の作った曲をフィギュアスケートの高橋大輔が使って踊ったりしている。


 前回は気づかなかったが、今回番組を見ていて、Cobaさんと司会で小説家の小野正嗣の間に、水面下の丁々発止のバトルがあったことが分かった。


 Cobaさんは、主張の強い人間である。自分のヨーロッパ体験など語りたいこと、音楽や人生について言いたいことが山ほどある。しかし番組がCoba色に染め上げられないよう、小野さんが司会として他のゲストに無理やり話を振ったりする。それに対してCobaさんは腹を立てたのか、司会の小野さんに正面切って質問をぶつけたりして、ハラハラする場面もあった。


 しかしCobaさんも大人である。番組の終わり頃、小野さんと和解するために(と見えた)、「お互いに留学という辛いを経験したから分かりあえる」ということで、テーブル越しに彼に「握手」を求め、その場の気まずい雰囲気を解かす努力をしていた。今回見た時は、「なるほど、うまく収めたね」という感じを受けた。しかし前回はもっと素直に、「留学経験した同志だから分かり合えるんだな」と素直に感動したのを覚えている。裏のバトルがよく見えていなかった。


 「日曜美術館」や「こころの時代」に限らず、映画やドラマやドキュメンタリーでも、面白い番組は繰り返し見る度に発見がある。しかし、そのように何度も見ていると何時までも残る番組が増えてハードディスクが満杯になってくる。テレビ番組だけでなく本や音楽も同様なので、それらも溜まってゆくばかりだ。


 見られたり読まれたりすることを待っている番組や本の山をみると、ため息が出てくる。短い人生なのに、そのような「物」たちに追い立てられるようにして時を過ごして良いのだろうか。


 繰り返し見なければ十分に味わえない。深く理解できない。自分のものとすることもできない。しかし、繰り返し見ているとそれだけで終わってしまい、「自分の」人生を生きることにはならないようにも思う。もっと実際に自分で体を動かして体験したり、人と交わったりすることが、本当に自分の人生を生きることなのではないか?その中で得られるものを大切にするべきなのではないだろうか?


 ハムレットではないが、繰り返し見るべきか見ざるべきか…それが問題だ、といつも心でつぶやいている。

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