top of page
  • 執筆者の写真Admin

「わかる」ということ

 「頭ではわかっているが」とは、よく使う言葉である。しかし、その言葉を聞くと、ああ、よくわかっていないんだな、と思うようになった。


 「わかる」とはどういうことだろうか、とずっと悩んできた。今でもよくわからない。しかし、どのような状態が「よくわかっていない」という状態かは段々わかってきた。


 「頭ではわかっている」とは、まだ「よく」わかっていない状態である。逆に、「腑に落ちる」は、「よくわかった」という表現である。してみると、理解に「深い情動」が伴わない場合はよくわかっていない、と言えそうだ。


 「わかる」ことには「程度」があるということだ。そして、わかればわかるほど、それに伴った「情動」が引き起こされるということなのだろう。「情動」が引き起こされる程に深くわかると、おそらくその人の「態度や行動」も変化する。そこまで「わかる」ことが、「深く生きる」ことに繋がるのだろう。


 では、どのようにしたら、「腑に落ちる」ほどに深くわかる状態に到ることができるのか?


 脳科学者の茂木健一ならば「わかるとは、アハ!体験である」と言いそうだ。「アハ!」とは英語圏で何かを理解した時に発せられる「a-ha!」のことだ。茂木は「アハ!」と気付いた時、脳の中では0.1秒ほどの短い時間、神経細胞が一斉に活動し、その結果、神経細胞の間の結合が強められ、一瞬で学習が完結する、と言う。


 それは「そうか、そういうことだったのか!」と膝を打ちたくなるような経験のことだろう。図式的に考えるならば、多くの知識や事象が、それまで無関係、あるいはせいぜい点線でつながっていた程度だったのに、途端にすべてが太い実線でつながった瞬間、と表現できるかもしれない。


 その「アハ!」体験は、何もないところに生ずるわけではない。おそらく長い時間をかけて様々な試行錯誤を続け、知識や体験を積むという、得てして無視されがちなことが大切なのだろう。


 その意味では、「セレンディピティ」と「アハ!」体験は似ているかもしれない。セレンディピティは「偶然の幸運を手に入れること」であるが、それには見えない地道な努力が必要だとされている。それまで蓄えた豊富な知識、体験があるからこそ、それらを結ぶ回路が作れたのだろう。


 しかし「わかる」とは、そのように一瞬にしてその最深部に至ってしまうものばかりだろうか?そうではないと思う。例えば「ある人を理解する、わかる」というのはとても時間がかかることだ。しかも、「わかった」と思ってもそこからはみ出るものが必ずあり、やはりわかってなかったことがわかる。それだから、人の心を「わかりたい」という気持ちも続くことになる。


 「だんだんにわかる」ということは、先程の脳神経の回路の例えで言えば、初めはごく単純な回路だったものが、繋がれる細胞の数が段々に増して、より複雑な巨大な回路に成長すること、と言えるかもしれない。一般的にはむしろ、このような漸増的なわかりかたの方が多いのではないだろうか?


 そのように、少しづつわかるというのも悪くないことだ。なにより、霧が晴れていくにつれて徐々に周囲の景色が明らかになるように、発見の面白さが「持続」するのがいい。すべてが初めから分かっていたら、この世も自分の人生も、さほど面白いものではなくなるだろう。わからないものがわかってゆくから面白いのだ。その事情は、例えば学問や芸術の世界、あるいは趣味やスポーツなどでも同じだと思う。


 もちろん「わかる」ことは、心が晴れるような気持ちの良い体験だけではない。絶望に近いような「わかる」体験もあるに違いない。愛する人が亡くなり、もう永遠に触れられないと「わかった」とき、あるいは自分の余命が限られていることが「わかった」ときなどは、救いがない絶望感に襲われるかもしれない。


 「わかる」ことすべてがよいとは思えないし、「わかる」ことにこだわり過ぎることも人生をよく生きることにならない、とも思う。この世にはわかる必要がないことも沢山ある。


 それでも「本当にわかる」ということはどういうことなのか、問わずにはおれない。深く人を世を理解し人生をしみじみ味わいながら生きたい、と思い願うことを止められない。私は、よほど業の深い人間であるらしい。

閲覧数:115回0件のコメント

最新記事

すべて表示

ひそやかなもの

「ライター風の写真」を撮ることが、SNSでもひそかなブームになっているようだ。それもよいが、「ライター的な生き方」をする人が多くなったら、いくらかマシな世の中になるのではないか、とひそかに思う。

用水路をつくった医師

世に尊敬できる医者は多い。幼い頃に伝記で読んだ野口英世もシュバイツァーも、あるいは山本周五郎原作のドラマで見た「赤ひげ」も魅力的な医者だった。彼らはいずれも情熱的で信念を持ち、努力する人たちだった。しかし、中村哲はいずれの医師とも違ったタイプの人間だった。

専門家の責任

予測が外れること、あるいは私の場合なら「誤った診立て」をすること、はあるだろう。問題は、その誤りを認め何らかの責任をとることである。それが「専門家」が取るべき態度だろう。そうでなくては、ただのホラ吹きである。

bottom of page