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闇に光を

 この世が苦しみばかりで闇に閉ざされているように思われる時、何を頼りに生きたらいいのだろう?


 もっとも効果的なのは、何と言っても、「信頼できる人間関係」だと思う。人は人に頼ることなしに自分を支えることはできない。それは「意味」が人間関係の中でしか生まれないものだから、という単純な理由による。


 私には信仰がある、という人がいるかもしれない。しかし、例えばオウム真理教などの新興宗教の例をみてもわかるように、信仰と言っても、その実、人間関係に支えられていることが多いのではないか。それはキリスト教やイスラム教などの世界的な宗教にしても同様であるように思われる。


 宗教の本質は人間関係にある、とは思っていない。宗教あるいは宗教性には固有の価値があると思う。それどころか、人間が生きていくには宗教性がとても大切なのではないか、とすら思っている。しかし真の「宗教性」と「信心」することの間には、大きなギャップがあることが多い、とは感じている。


 しごとが生きがいだ、などという人もいるかも知れない。しかし何も人に評価されない仕事をやる気になるだろうか?結局、仕事に熱中するのも人を意識してのこと、もっといえば人に評価されることを願ってのこと、ということになり、結局は「人」に頼っていることになるのではないか。


 しかし、そのようにとりあえず「信頼できる人間関係」が周りにないように思える場合、どのようにして自分を支えていったらよいのだろうか?そのとても印象的な例が、先日のNHK日曜美術館「光の絵画~ハンセン病療養所・恵楓園 絵画クラブ金陽会」で紹介されていた。


 金陽会は、ハンセン病で恵楓園という施設に隔離された人たちが半世紀以上に渡って続けてきた10人ほどの絵画クラブである。彼らは、10代あるいは20代の若さで、突然自分たちの家族から引き離され、雑居部屋での貧しい生活を余儀なくされた。


 初めはよい治療薬もなかったため、一生を壁の中に閉じ込められたまま暮らすしかなく、ほとんどの人が絶望して自殺を考えたという。その中で生まれたのが絵画クラブ金陽会だった。「自分の人生」を奪われたという苦しみを、その不条理に対する怒りを、絵を描くことにぶつけてきた。絵を描くことが彼らの大きな支えだった。


 しかし忘れてはならないのは、ここでも実は、その彼らを根底で支えていたのは人間関係だったということだ。彼らには仲間がいた。お互いに切磋琢磨する友がいた。


 また、ずっと後年になって「熊日画廊」という展覧会を定期的に開くことになり、そこで彼らの絵が高く評価されるようになったことも、彼らを勇気づけた。恵楓園以外の「人々」に支持されているということが彼らを勇気づけ、絵を描くことの意味を与え、さらに絵画活動に邁進させた。


 彼らを直接的に支えていたのは絵を描くことだったが、その奥で活動を支えていたのは「仲間」あるいは恵楓園の関係者以外の一般の「人」だった。「人」に支えられて、彼らは自分たちの「絶望」を繰り返し絵に表しながら、次第に「命の喜び」に気付いていった。


 ハンセン病の人々の絵画活動は、インタビューアーの小野正嗣が指摘していたように、「芸術が人を世界を肯定する」というとても印象的な例だった。芸術は闇に光をもたらしてくれる。それを体現しているのが金陽会で絵を書き続けた人たちであり、彼らの絵画そのものなのだと思う。


 芸術は個人的な、極めて孤独な、自分を支えるための営みだと思うが、その芸術ですら「人」に支えられているのだ。やはり、人を支えるのは人でしかありえない、と思う。

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