先日、当院のウエブサイトの院長紹介のページにある「The long and winding road」はビートルズの曲名ではなかったか、と尋ねられた。その通りである。その曲も大好きだし、曲名も好きだ。「長く曲がりくねった道」。自分の人生をそんな風に感じる人は多いに違いない。
歌詞のおおよその意味は知っていたつもりだったが、今回改めて読んでみて、気が付いたことがあった。
その歌の冒頭は、次のような歌詞である。
The long and winding road その長い曲がりくねった道は That leads to your door 君のドアへと続く
私はずっと、「君のドア」は「愛する人への入り口」なのだろうと思っていた。そうとも読める。ネットで調べてみると、英国人は日本人以上に女性に対して連綿と恋心を抱き続ける人が多いので恋人へのドアと考えていいのだ、とか、ちょうどその歌が書かれたころはビートルズ内に亀裂が入りつつあった頃で、ポール・マッカートニーがジョン・レノンに宛てたラブレターが歌になったのだとか、いや別のある特定の人(レイ・チャールズ)を思って書いた歌だとか、諸説紛々で定説はないようだ。
今回共鳴したのは、「いくら追い求めても到達できない人生の目的」という説。曲を書いたポール・マッカートニー自身も、誰か特定の人にアプローチするドアのことを意味していたのではない、ということを匂わせる発言をしている。
「あれは悲しい曲なんだ。なぜなら、決して到達しえないもの、到達できないドアのことを歌にしたんだから。そこに至る道は、決して行きつくことのできない道なんだ。」 (ポール・マッカートニー)
以前にもブログに書いたが、人生の意味なんて、つまりこの長い曲がりくねった道の究極の終点(目標)なんて、あるようでないようなものだと思う。しかし私たちは皆、そのあるかないかわからない究極の世界への入り口に向かって、あの歌の通り、荒れ狂う嵐の夜も、どのくらい泣いても、時には置き去りにされても、精一杯歩いて行くしかないのだ。それが生きるということなのだ、とあの歌は言っているように思う。
時あたかも、オリンピックで選手たちが究極の頂を目指して熾烈な戦いを繰り広げている。オリンピックでの優勝は確かに価値があるし、嬉しいだろうと思う。しかし、例えばそこで金メダルを取ったからといって、どうだというのだろう。おそらく、金メダルを取ったからそれでお終い、ということにはならないだろう。人生はそれからも続く。つまり、金メダルは人生の究極の目的ではないのだ。
メダリスト達にとっても、そうでない普通の人にとっても、常に、道は長く、曲がりくねっていて、困難に満ちている。目的はあるようでない。だけれども私たちは、何があろうと必ずこの人生の道に引き戻され、究極のドアに向けて困難な歩みを再開することになる。なぜなら人生とはそういうものだから。あの歌は、そう言っている。
But still they lead me back それでもやっぱり、私は引き戻されるんだ To the long winding road あの長い曲がりくねった道へ
当院のホームページを読んで下さったある方のおかげで、歌の本当の意味に近づけた気がする。感謝いたします。