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「大岡信を送る」 谷川俊太郎

更新日:2019年8月15日


 医院開業が1ヶ月後に迫り準備に追われています。書類を整理していたら、谷川俊太郎が朝日新聞に寄せていた記事が出てきました。2017年4月5日に86歳で亡くなった詩人の大岡信を送った追悼の詩です。亡くなった友を送る真情にあふれる詩ですが、朝日新聞にしか発表されていないようなので、私的メモとして、その詩を書き留めておきます。

「大岡信をおくる」 2017年卯月  谷川俊太郎

 本当はヒトの言葉で君を送りたくない

 砂浜に寄せては返す波音で

 風にそよぐ木々の葉音で

 君を送りたい

 声と文字に別れを告げて

 君はあっさりと意味を後にした

 朝露と腐葉土と星々と月の

 ヒトの言葉よりも豊かな無言

 今朝のこの青空の下で君を送ろう

 散り初める桜の花びらとともに

 褪せない少女の記憶とともに

 君を春の寝床に誘うものに

 その名を知らずに

 安んじて君を託そう

 言葉の不便さも面白さも、痛切に感じながら生きてきただろう詩人たちも、言葉の不要な世界に還ってゆく。「意味」の世界を後にした友に対して、谷川俊太郎は、その哀しみを「言葉」で表現するしかなかった。大岡の死を「一人で悼みたい」と、しばらくは沈黙を守っていた谷川だったが、亡くなった友に自らの心を伝えるためには、やはり「言葉」を用いるしかなかった。

 当然のことながら、この詩は、「豊かな無言」の世界へと旅立った大岡を祝福しているわけではない。大岡への惜別の情は溢れている。しかし同時に、ヒトは結局言葉の要らない世界に戻ってゆくものなのだという事実と、それに対する諦念も表明されている。だから詩の中では、亡くなったヒトは「意味を後にし」、「豊かな無言」に入る、と表現される。誰もが、その主(あるじ)の「名を知ら」ない「豊かな無言」世界へと誘われ、還ってゆくのだ。それは、谷川俊太郎の初期の詩「二十億光年の孤独」に通じる、透明な哀しみの感覚である。彼の透明な孤独感は、若いときからずっと一貫しているように思われる。

 患者さんのなかには、苦しみの余り、自死を企てる人もいる。生きるということは、孤独な行いである。いくら言葉を尽くしても、心が通じ合うことは少ない。しかしそれでも、生きるということは、その「通じ合えないという困難」を「乗り越えようとする努力」を行うに値するだけの豊穣さをもっている。谷川の生き方そのものが、そのことを物語っている。

 もちろん、命はやがて尽きる。その時こそは、誰もが「豊かな無言」に身を委ねるしかない。谷川のこの純度の高い詩は、その単純な事実も語っている。急ぐことはない。先は見えている…。

 美しい言葉の結晶のような詩に、不要の言葉を連ねてしまいました。ちょうど、大岡の死に対面して言葉の無力さを痛感していた谷川が、それでも言葉で哀しみを表さなくては仕方がなかったように、私は谷川の詩とその感性に、無様な言葉であれ、どうしても賛辞を捧げたかったのです。ここまで読んで頂いた方には感謝致します。


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