top of page
  • 執筆者の写真Admin

心の傷を癒やすということ

更新日:2020年5月25日

 偉大な精神科医は多くいた。彼らの遺した文章を読むと、スケールの違いにうなだれざるを得ないことも多い。しかし彼らのほとんどは昔の人だったり御高齢だったりして、私の精神科医としてのアイデンティティを揺るがすほどの存在でないことが多かった。

 数ヶ月前に見たNHKドラマ「心の傷を癒やすということ」のモデルとなった精神科医、安克昌は違った。残念ながら癌のため39歳という若さで亡くなっているが、まだ生きていれば私と同じくらいの年だった。若い時から人の心を深く見つめ、寄り添おうとしていた人だった。

 ドラマの元になった本(ドラマと同じ「心の傷を癒やすということ」というタイトル)も読んだ。阪神淡路大震災で自らも罹災しながらも、その内側から発信しつづけた彼の被災地レポートは、彼の誠実さや良心をしみじみと感じさせるものだった。こんな精神科医が実際にいた、ということに驚かされた。

 彼はなぜそのような医者になれたのだろう。

 もともとの素質もあるだろう。彼は幼いころから本が大好きで小さい頃から難しい本を読み、自分のものとしていた。「兄は、私にとっては先生のような存在だった」と、安克昌の弟が証言している。

 出自も大きかっただろう。安は在日韓国人の両親のもとに生まれ、日系二世として育ち、生涯自分は韓国人なのか日本人なのかというアイデンティティの問題に苦しめられたようだ。そのような生い立ちが、人の精神的な苦しみに対する理解や共感能力を高めたことは考えやすい。

 師にも恵まれた。彼の学んだ神戸大学医学部では、今も日本の精神医学界に大きな影響を与え続けている中井久夫が教鞭を取っていた。中井氏の、患者の世界に寄り添っていく姿勢を身近に見たことは、安克昌の診療スタイルに大きな影響を与えたに違いない。

 彼の唯一の単著である「心の傷を癒やすということ」には、中井氏や同僚、友人、親族からの寄稿も多く寄せられていた。その一つ一つもまた、安克昌を悼む心、彼を愛する心に溢れるものが多かった。そのこと自体が、安克昌の人となりを物語っている。

 安克昌をよく知る、ある精神科医は書いている。

「私たちが安さんに追いつくことは一生ないだろう。それでも安さんは残された人たちの中で、成長し、成熟し続けていくのだろう。守備範囲の広い安さんはたくさんのバトンをもっていた。それぞれの人が自分に渡されたバトンを大事にひきつぎ、それぞれ思い思いの方向に向かって走っていけばいい。」(宮地尚子、「心の傷を癒やすということ」から)

 「心の傷を癒やすということ」の初版本が1996年に刊行されたとき、恩師の中井久夫は序文に書いた。

 「安克昌はナイスな青年であり、センスのある精神科医であり、それ以上の何かである。」

 私もそう感じる。彼は「ただの心優しい優秀な精神科医」ではない。もちろん、「心の優しい優秀な精神科医」になることすら至難の技であることは日々痛感しているところだが、彼はそんな単純な人間ではない。


 彼に治療を受けた多重人格障害の女性の患者は、ある学習会で安克昌が、「(多重人格障害の患者は愛情に飢えている人が多いから)たとえ愛情を与えても、『もっともっと』となるので、治療に愛は要らない。愛は自分の家族のためにとって置いてください」と語っていたのが印象的だった、と話していた。「治療に愛は要らない」とは、なかなか言えない言葉だ。彼が、センチメンタルとは程遠い人間であった証拠だ。

 学生時代からの親友である精神科医の名越康文は、中学生時代に彼と初めてあったとき、何かが鋭利に削ぎ落とされているような静かな殺気に満ちた生徒だ」と感じたと言い、それを裏付けるような次のようなエピソードを語っていた。

その見知らぬ同級生(安克昌)はおもむろに、他校の不良学生はどのような喧嘩の仕方をするのかを身振りを交えて説明し始めた。そうして自らの学生服を袖を通さずに両肩だけで引っ掛けるように着て、そのまま上半身を勢いをつけてブンと回旋させたのだった。次の瞬間、両袖がまるで鞭のようにしなって弧を描き、袖の金ボタンが私のこめかみにバチッとぶち当たった。あまりの衝撃に目から火が出たのを覚えている。痛さでしゃがみ込んだ私を見下ろした彼はニヤリと不敵な笑みを浮かべて、『痛いやろ』と呟いたのだった。」(名越康文、「心の傷を癒やすということ」から)

 その名越氏は、さらに安克昌を評して、

「一人の素晴らしい精神科医であり社会人であるが、それと同時に、まさに彼の大恩人、中井久夫先生が書かれておられる通り、『それ以上の何か』なのであった。その何かを私なりに一言で言えば、アーティストであった。」(同上)

と書いている。

 人は誰でも、自分の人生を形造ってゆくアーティストだと言われる。安克昌の人生は短かった。しかし彼は、その人生を精一杯生き、いくら剥いてもまだまだ奥があるような複雑な心惹かれる作品を仕上げ、彼を知る人の記憶に生き生きと生き続けている。

 彼のことを知れば知るほど、私は精神科医として、あるいは人として、学ぶべきことが多く残されていることを思い知らされる。日は暮れなんとしているが、道は遠い。

閲覧数:954回0件のコメント

最新記事

すべて表示

ひそやかなもの

「ライター風の写真」を撮ることが、SNSでもひそかなブームになっているようだ。それもよいが、「ライター的な生き方」をする人が多くなったら、いくらかマシな世の中になるのではないか、とひそかに思う。

用水路をつくった医師

世に尊敬できる医者は多い。幼い頃に伝記で読んだ野口英世もシュバイツァーも、あるいは山本周五郎原作のドラマで見た「赤ひげ」も魅力的な医者だった。彼らはいずれも情熱的で信念を持ち、努力する人たちだった。しかし、中村哲はいずれの医師とも違ったタイプの人間だった。

専門家の責任

予測が外れること、あるいは私の場合なら「誤った診立て」をすること、はあるだろう。問題は、その誤りを認め何らかの責任をとることである。それが「専門家」が取るべき態度だろう。そうでなくては、ただのホラ吹きである。

bottom of page